どうして親は子供を注意しないんだろうか。
しつけは大人になってから、その子に返ってくるのに。
親の一時の品を保つため、将来の子供の品を落としてる。
わたしは1000年後もネットの情報などか保存され続けることを願います。
そうすることで、歴史は勝者が記述するものから、集団が記述した何かへと変容する。
文章をクトゥルフっぽくするテクニック
546 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい :2005/04/03(日) 13:49:35 ID:A/xBSFBU0
文章をクトゥルフっぽくするテクニック
「恐るべき」「忌まわしき」「地獄の」「宇宙的な」「深淵の」「病的な」「嘲笑を」「冒涜的な」を混ぜる。
548 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい :2005/04/03(日) 13:53:56 ID:FXjwupGu0
»546
私は慄然たる思いで机の引出しから突如現れたその異形の物体を凝視した。
それは大小の球体を組み合わせたとしか言い様の無い姿をしており、狂気じみた青色が純白の顔と腹部を縁取っていた。
這いずり回るような冒涜的な足音で私に近付くと、何とも名状し難き声で私と私の子孫のおぞましき未来を語るのであった。
また、それは時空を超越した底知れぬ漆黒の深淵に通じる袋状の器官を有しており、この世の物ならざる奇怪な装置を取り出しては、人々を混迷に陥れるのであった。
.
ちなみに何で読んだか忘れたのだが、幻覚系のドラッグを摂取して見える「向こうの世界」のイメージを絵に描かせると、皆同じようなものを描くそうだ。ドラッグで世界が拡がるといっても、他のジャンキーと同じ世界を見ているだけで、イメージは逆に陳腐に均質化しているのだ。
よく、それまでマイナーだった作品の連載当初から応援していたファンが、アニメ化によって知名度が一気に上がって、それまでまったく作品を知らなかったファン層が一気に増えた事を苦々しく思って「にわかファンが増えた」なんて揶揄する事がありますが・・・
実際問題として、私は古参ファンと新規のファンの差、っていうのはほとんどない、そう思います。というのは、たとえば今期始まったチャンピオンの「みつどもえ」アニメですが、連載は不定期掲載の期間も含めて3年前からやっていました。が、今週はじめてアニメでみつどもえの存在を知って、単行本をまとめて買って読んだ人がいたとしたら?10冊に満たない巻数しか出ていませんから、数時間あればあっという間に知識の差は埋められます。そうなれば古参ファンと新規ファンの間に差(アドバンテージ)はほとんどありません。なにより「面白さ」に変わりはありませんので。
新規層を苦々しく思う気持ちはわかります。が、むしろ「同じ作品を語れる仲間が増える」ことを素直に喜びましょうよ。人がいつ、どのタイミングでその作品の好きになるかなんてそれぞれだし、面白い作品であれば一人でも多くの人に知ってもらうのは「本当のファンとして」嬉しいものです。「○○は俺のもの」的な歪んだ独占欲は何も生みません。
古参のファンであれば、これまで長い時間をかけて作品を楽しんでいた、という思い出が何よりの宝物ですから。
ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。
この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。
匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディアで展示を公開しても、状況はそんなに変わらない。IDの追跡が可能になってしまうと、今度は逆に、あえて押してみせることを、一種の表現として利用しようという人が出てくるだろうから、金魚の命運は、やっぱり危ういままになってしまう。
恐らくはたぶん、「ボタンは誰でも押せます。累計で10人の人がボタンを押すとジューサーが回ります。その代わり、10人のうち1人だけ、押した人の氏名が公開されます」という但し書きが、金魚の生存確率を高めてくれる。
売名目的の人にしてみれば、自分の名前が公開されない可能性があるならば、自分の行為が無駄に終わってしまうリスクがあるし、怖いもの見たさの人は、「10人のうち1人」という理不尽さがためらいを生んで、やっぱりボタンは押せないだろうから。
完全匿名も、完全公開も、「完全」が、ルールに対する過度な信頼を生んで、常識の垣根を踏み越えて、ぎりぎりまでやる人たちを生み出す。確率論的な理不尽さを持ち込むと、ルールはもう、誰からも信用されなくなる。ルールに対する不信が自制を生んで、自制は落としどころとしての常識を生み出していく。
ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。
この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。
匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディアで展示を公開しても、状況はそんなに変わらない。IDの追跡が可能になってしまうと、今度は逆に、あえて押してみせることを、一種の表現として利用しようという人が出てくるだろうから、金魚の命運は、やっぱり危ういままになってしまう。
恐らくはたぶん、「ボタンは誰でも押せます。累計で10人の人がボタンを押すとジューサーが回ります。その代わり、10人のうち1人だけ、押した人の氏名が公開されます」という但し書きが、金魚の生存確率を高めてくれる。
売名目的の人にしてみれば、自分の名前が公開されない可能性があるならば、自分の行為が無駄に終わってしまうリスクがあるし、怖いもの見たさの人は、「10人のうち1人」という理不尽さがためらいを生んで、やっぱりボタンは押せないだろうから。
完全匿名も、完全公開も、「完全」が、ルールに対する過度な信頼を生んで、常識の垣根を踏み越えて、ぎりぎりまでやる人たちを生み出す。確率論的な理不尽さを持ち込むと、ルールはもう、誰からも信用されなくなる。ルールに対する不信が自制を生んで、自制は落としどころとしての常識を生み出していく。
